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出エジプト記19章16節 – 20章−21節

16三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。

17モーセは、神に会わせようと、民を宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。18シナイ山は全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。19角笛の音がいよいよ高くなる中、モーセは語り、神は声を出して彼に答えられた。20主はシナイ山の頂に降りて来られた。主がモーセを山の頂に呼ばれたので、モーセは登って行った。

21主はモーセに言われた。「下って行って、民に警告せよ。彼らが見ようとして主の方に押し破って来て、多くの者が滅びることのないように。22主に近づく祭司たちも自分自身を聖別しなければならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」23モーセは主に言った。「民はシナイ山に登ることができません。あなたご自身が私たちに警告して、『山の周りに境を設け、それを聖なるものとせよ』と言われたからです。」24主は彼に言われた。「下りて行け。そして、あなた自身はアロンと一緒に上れ。しかし、祭司たちと民は、主のところに上ろうとして押し破ってはならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」25そこでモーセは民のところに下りて行き、彼らに告げた。

十戒

201それから神は次のすべてのことばを告げられた。

2「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。

3あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。

4あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。5それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

7あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を049罰せずにはおかない。

8安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。9六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。10七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。11それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。

12あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。

13殺してはならない。

14姦淫してはならない。

15盗んではならない。

16あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。

17あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」

18民はみな、雷鳴、稲妻、角笛の音、煙る山を目の前にしていた。民は見て身震いし、遠く離れて立っていた。19彼らはモーセに言った。「あなたが私たちに語ってください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお語りになりませんように。さもないと、私たちは死んでしまいます。」

20それでモーセは民に言った。「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたを試みるためです。これは、あなたがたが罪に陥らないよう、神への恐れがあなたがたに生じるためです。」21民は遠く離れて立ち、モーセは神がおられる黒雲に近づいて行った。

新改訳聖書

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燃える茂みの中から神がモーセに語りかけてくださったその場所に戻るのは、モーセにとって不思議な感覚だったに違いありません。最初に来たときは、羊の群れに囲まれていました。今は200万人の人々に囲まれています。神は忠実な方で、旧約聖書の中で最も偉大な奇跡の一つとして、エジプトから神の民を救い出し、シナイ山に連れてきてくださいました。

山のふもとには一種の立ち入り禁止区域として「境界」(出エジプト 19:12、23)が設けられました。「全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである」(19:18)。山全体が激しく震え、角笛の音はがどんどん大きくなっていました。神はご自分の律法を民に与えるために降りてこられたのです。

神の恵みの新しい表現

神の律法は、救われていない人々が天に登るためのはしごでは決してありません。それは常に、子羊の血によって裁きから救われた神の民のための生活の基準でした。だからこそ、十戒は神が民に思い出させる次の言葉から始まっているのです:「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である」(20:2)。

「わたしがこれらの戒めを与えるのは、それらを守ることによってあなたがたが神の民となるためです」と神は言っていません。「あなたがたはすでに神の民なので、わたしはこれらの戒めを与える」と言っているのです。戒めは、救われるためにすべきことを教えているのではありません。戒めは、主イエス・キリストへの信仰による恵みによって救われたときに、神があなたに求める生き方を示しているのです。

神の栄光を垣間見る

十戒は恣意的に集められた規則ではありません。神の性格をそのまま反映しているものです。

新約聖書では、罪とは神の栄光を受けるに満たないこと、そして律法に違反することと定義されています(ローマ 3:23;1 ヨハネ 3:4)。この二つを合わせることによって、律法とは神の栄光を現すものであると結論づけることができます。

なぜ姦淫をしてはいけないのでしょうか?神は誠実だからです。なぜ盗んではいけないのでしょうか?神は信頼できる方だからです。なぜ嘘をついてはいけないのでしょうか?神は真実を語るお方だからです。なぜ人のものを欲してはいけないのでしょうか?神は自分自身において平安をもっており、満足しているからです。

「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」(出エジプト 20:3)と神が言われるのは、神が唯一の神だからです。神のようなお方は他にいません。また、神が私たちに一週間のうち一日休むように命じられるのは、神が七日目に休まれたからです。

神の戒めは、贖われたご自身の民に神が与えたものです。あなたが神のものであるなら、戒めはあなたのためにあります。神はあなたに言われます、 「あなたはわたしのものだから、わたしを模範とした生き方をしなさい。それが聖い生き方です。」

神の愛を映す鏡

神は愛であり,十戒には愛による生き方がどのようなものかが記されています。主イエスはある時、「律法の中でどの戒めが一番重要ですか?」と尋ねられました(マタイ 22:36)。イエスは、一つだけではなく、すべての戒めをまとめて言いました、「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です」(マタイ 22:37–39)。

愛による生き方とは、実際にはどのようなものでしょうか?十戒にその答えがあります。最初の四つの戒めは、神を愛するとはどういうことかを教えています:

1. あなたには、わたし以外に、ほかに神があってはならない。

2. 偶像を作ってはならない。あなたは自分が望んだり、想像したりした神ではなく、ありのままの神を愛しなさい。

3. 神の名を敬い、決してみだりに口にしてはならない。

4. 神に時間を献げなさい。礼拝する時間、奉仕する時間、そして、あなたの前には無限に広がる永遠が待っていて、そのために準備しなければならないことを覚える時間を持たねばなりません。

後半の六つの戒めは、隣人を自分のように愛することがどのようなものであるかを教えています:

5. まずは家庭から、神があなたの人生に最初に与えてくださった人たちから始まります:あなたの父と母を敬いなさい。

6. 人の命を神からの神聖な贈り物として尊びなさい。

7. 配偶者に誠実でありなさい。

8. 信頼される人でありなさい。他人の弱点や弱みにつけ込んではいけません。

9. 自分の言葉に忠実でありなさい。真実を語りなさい。

10. 神が他人に与えたものを欲するのではなく、喜びなさい。

十戒は神の栄光を映し出す鏡です。神は愛です。神がどのようなお方であるかを映す生き方を、神は私たちに求めておられます。それがどのようなものかは十戒に綴られています。

魂のレントゲン

私は久しぶりに歯科医に行ったときのことを覚えています。特に痛みがなかったので、ずっと行くのを先延ばしにしていました。診察の結果は、よい状態ではありませんでした。

歯科医はレントゲン写真を何枚か撮り、それらを光にかざして、「うーん…おや、まあ … これはひどい!いくつかの詰め物の下がひどい虫歯になっている」と言ったのです。

「でも痛みはありません」と私は言い張りましたが、歯科医は聞いてくれません。「かなり大きな治療が必要になるでしょう。できるだけ早く治療に取り掛かりましょう。」と彼は言いました。

多くの人は、自分の霊的状態に痛みを感じることなく人生を歩んでいます。物事は順調であると誤って思い込み、一般的に見てまっとうな人生を送ってきているので、霊的に健康であると考えているのです。しかし、神の律法は魂に対するレントゲンのようなものです。私たちは、神を神とすることができず、他人よりも自分を愛することが自然な者であると律法は明らかにします。

あなたがイエス・キリストを必要とする最初の理由は、あなたがより豊かで、より充実し、より満足のいく人生を送るためではありません。あなたが本質的に罪人であり、実際に罪を犯しているからこそ、キリストを必要としているのです。神の律法のレントゲンがそれを示しています。

例え悪い知らせをもたらしたとしても、レントゲンが良いのと同じように、律法は良いものです。私は歯科医院で知らされたことを喜びませんでしたが、それが悪化する前に状態を知ることができて感謝しました。問題があることが分からなければ、治療を求めることがないからです。

戒めは私たちの行動よりも深い部分を照らすことをイエスは明らかにされました。戒めは私たちの心の考えや意図を探ります。「『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです」(マタイ 5:27–28)。

十戒を正しく理解すれば、イエス・キリストを信じる信仰へと導かれます(ガラテヤ 3:24)。律法によってキリストに導かれていないなら、あなたは律法の最大の目的を見落としています。イエスのパリサイ人に対する次の指摘は、そのことを指しています:「あなたがたは聖書を調べています…それなのに、あなたがたは、わたしのもとに来ようとはしません」(ヨハネ 5:39−40)。彼らは律法を学ぶことに必死でしたが、肝心なことが理解できていませんでした。つまり、キリストの必要性を見出すことができずにいたのです。

列車の線路を敷くということ

旧約聖書の物語は、神の民が神の律法を守ることができなかったことを明らかにしています。律法は私たちに何をすべきかを告げていますが、それを実行する力を与えることはできません。

聖書の物語の後半で、神は私たちに何をすべきかを告げるだけでなく、その方向に向かう力を与えることのできる新しい契約を約束してくださいました:「わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする」(エゼキエル 36:27)。

神の律法は列車の線路のようなものです。線路は進む方向を決めますが、列車はエンジンに力がない限り前に進みません。神の律法によって定められている方向に進む力を神の民に与えるのが、聖霊の特別な働きです。

命令を約束に変える

盗みを行い刑務所で刑期を過ごした泥棒についてのすばらしい物語があります(注1)。法の手が追いつき彼を逮捕するまで、窃盗が彼の生き方でした。彼は刑務所にいる間にイエス・キリストの福音を聞き、素晴らしいことに救われました。

釈放されたときに、その男は大きな闘いに直面するであろうことを知っていました。彼の古くからの友人のほとんどが泥棒であり、そのため彼の古い生活パターンをうち破ることは容易ではないと分かっていたのです。

自由になった最初の日曜日に、彼は教会に行きました。正面の飾り板に十戒が刻まれていて、彼の目は、彼を糾弾しているようにも思える、その戒めに留まりました:『盗んではならない。』

一番触れてほしくないことだ、と彼は思いました。私は自分の弱さを知っている。私は自分の失敗を知っている。これから直面する戦いも分かっている。

礼拝が進むなか、彼は飾り版を眺め続けました。そして、その言葉を読み直す度に、その言葉が新しい意味を帯びるように感じたのです。最初は、非難する命令口調でこの言葉を受け止めていました:「あなたは盗んではならない!」しかし今は、その同じ言葉が、彼を解放する約束として神が語ってくださっているかのように思えてきたのです:「あなたは盗んではならない!」彼は、キリストのうちにあって新しく造り変えられた者であり、御霊の力を通して古い生活パターンから抜け出すことができると神は約束してくださっていたのです。

あなたが主イエス・キリストを信じるとき、神はあなたに御霊を授け、神に喜ばれる人生を歩むための力を与えてくださいます。御霊の力によって、敗北する運命にある闘いが、究極の勝利を得る闘いへと変わります。律法は、神が望んでおられる生き方を示します。そして、イエス・キリストがその生き方を可能にしてださるのです。

開かれました

律法は私たちの人生の隠れた罪を明らかにする鏡です。律法は正しく理解すれば、私たちには救い主が必要であることを示し、私たちをキリストのもとに導きみます。そして御霊が私たちのうちに住んでいれば、律法はもはや不可能を要求するものではなくなり、新しい可能性を示すものへと変わります。

注1: 私はこの話を友人のチャールズ・プライスから聞きました。この話を使う許可を与えてくれた彼に感謝しています。チャールズ・プライス著『マタイ:ナザレから良いものが出てくることなどあろうか?』(Fearn, Scotland: Christian Focus, 1998), 88ページ参照。

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これらの質問を使って、神の御言葉にさらに触れてみてください。他の人と話し合ったり、自分自身を探るための質問として使ってみてください。
  1. 十戒はどのように始まりますか?なぜ、私たちに与えられたのですか?今の私たちに伝えようとしていることは何ですか?
  2. 十戒は時代に縛られたものですか?今の私たちに新しい戒めが与えられる必要はありますか?それはなぜですか?
  3. もし人生が良好で、一般的に尊敬に値する人生を歩んでいると感じているなら、十戒を無視しても良いのですか?それはなぜですか?
  4. 神の律法の目的を理解しているかどうかを、どのように知ることができますか?
  5. 律法は鉄道にどのように似ていますか?神の律法の目的を果たすためには、律法の他に何が必要ですか?
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