ペンテコステの日の後、新しく信者になった者たちはすぐに、四つの優先事項を定めました。それらは、使徒の教えを学ぶこと、交わりの中で成長すること、共にパンを分かち合うこと、祈ることの四つでした(使徒 2:42)。
最初の信者たちはみなユダヤ人で、初期の頃は神殿の中庭や家庭で集まっていました。彼らが所有物を売って、困っている人に与えていたことから、彼らがとても親密な関係をもっていたことが分かります。神は使徒を通して多くの奇跡を起こされ、信者たちはエルサレムの街中で広く好意を持たれていました。
迫害のパターン
神殿の権威者たちの見解は、違っていました。彼らはペテロとヨハネを逮捕し、カヤパのところに連れて行きました。カヤパは、イエスを尋問し、有罪と宣告した大祭司です。評議会は使徒たちに、イエスの名によって話したり教えたりしてはならないと命令しました。それに対して、ペテロとヨハネは、自分たちが「見たことや聞いたこと」を話さないわけにはいかないと答えました(使徒 4:20)。
その後、すべての使徒が逮捕されました。それでも彼らはやめなかったので、評議会は彼らを鞭打ちの刑に処しました。これは、迫害のパターンを構築していく最初の出来事となりました。
信者の数が増え続けると、使徒たちが祈りと神の言葉を宣べ伝えることに専念できるように、宣教活動全体を見渡す指導者を任命しました(6:2−4)。
この働きのために選ばれた最初の人がステパノでしたが、彼は信者たちの共同体を破壊しようとするグループの標的となりました。彼は、偽りの罪で逮捕され、裁判にかけられました(6:9−14)。イエスがされたことと全く同じでした。彼は自分の信仰を見事に弁明しましたが、最後まで弁明することなく、街から引きずり出され、石打ちの刑に処されました(使徒 7章)。ステパノは、クリスチャンの初めての殉教者となりました。主イエス・キリストに仕えて、命を献げた多くの人の最初となったのです。
ステパノの死は、初期の信者たちに対する迫害の波の始まりでした。信者たちは、エルサレムを離れて散っていきました(8:1)。サウロという名の特に熱心なパリサイ人は、彼らを追い詰めようと決意していました。大祭司の支援を得て、彼は信者たちを捕まえるために出かけました。彼が最初に狙った都市はダマスコでした。
異邦人に伝道する使徒
キリストがサウロの人生に介入したのは、ダマスコへの途上でした。彼は目がくらむような光で目が見えなくなり、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」と問いかける声を聞きました(使徒 9:4)。復活された主イエスと直接対峙したことで、彼の人生の方向は一転し、教会の最大の敵であった人が、教会の最大の擁護者となったのです。私たちは使徒パウロと呼ばれる彼のことをよく知っています。
最初の信者の多くと同様に、パウロもユダヤ人でした。しかし、神は彼に、イエスの福音の良い知らせを異邦人の世界に伝えるように命じられました。そして、パウロの宣教の旅を通して、ローマ帝国中に教会が建てられました。
旧約聖書の中で神が預言者たちに語られたのと同じように、神はパウロに直接語られました。新約聖書には、彼が書いた十三通もの手紙が収録されており、最初に載っているのが、次のセッションで紹介するローマ人への手紙です。
苦しみを知っている人
神に特別に用いられ、聖霊によって力を与えられていたので、常に勝利を収めるような人生を送っていたと思うかもしれませんが、パウロは自分の弱さの経験を率直に語っています。彼の証から、クリスチャンの生涯における深い谷について知ることができます。
パウロは苦しみをよく知っている人でした。39回の鞭を受けたことが五度、棒で殴られたことが三度、石で打たれたことが一度ありました。難船も三度経験していました(2 コリント 11:24−25)。彼は常に移動していて、どこに行っても危険に直面していました。決して弱い存在ではありませんでした。
パウロは人生において、非常な痛みにも耐えていました。彼はそのことを「肉体のとげ」と表現しています(2 コリント 12:7)。それが何であったかは分かりませんが、パウロの勇気を知っていれば、それが小さな不都合ではなかったことは確かです。
パウロはこの問題から解放されるようにと、神に熱心に祈りましたが、神は彼の求めたものを与えませんでした。代わりに神は、次の約束を与えてくださいました:「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(2 コリント 12:9)。真の霊性の証は、神があなたの求めたものをすべて与えてくださるということではなく、神が与えてくださらないときにも神と共に歩むことにあります。
宣教活動のプレッシャー
パウロが弱さを経験したのは、勇気や体力がなかったからではありません。快適の限界をはるかに超えた状況に、神がパウロを追い込まれたからです。彼は、全く、耐えられないほどの重圧を経験しましたし、ある時は「生きる望みさえ失うほどでした」(2 コリント 1:8;11:28−29も参照)。
キリスト教の宣教活動に身を投じる人は、パウロが知っていた弱さをすぐに経験することになるでしょう。キリストに従うと、落胆したり、疲れ果てたりすることさえもあります。答えのない問いや、解決策のないように見える問題にも直面します。
しかし、この弱さは恐れるべきものでも、恥じるべきものでもありません。パウロは、自分が弱さを経験することがチャンスであると捉えていました。なぜなら、その時にキリストの力が彼をおおうからです(12:9)。それはあなたにとっても同じです。
キリスト教の宣教活動においては、強いと思っている強さは実は弱さであり、弱いと思っている弱さは、神の御手の中で強さとなります。だからこそ、パウロは「キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。私が弱いときにこそ、私は強いからです」(12:10)と語っているのです。
最初の谷からの眺め
弱さを感じているからといって、神の御心から外れていると考えてはいけません。自信が持ててから、神が召されておられる道を前進しようと待機していたら、あなたはいつまで経っても神の働きに取り掛かることができないでしょう。
イエスは、慎重に安全な範囲内で生きておられたわけではありません。イエスが「わたしに従いなさい」と言われるとき、私たちの限界を超えることに召しておられるのです。快適な場所から外へと連れ出されるのです。自分自分の強さだけを知っていて、弱さを知らない人というのは、それほどイエスに従ってはいない人です。
神はしばしば、私たちが神に頼ることを学ぶために、私たちの背丈よりも深い深みへと私たちを置かれることがあります。あなたが弱さを経験するとき、キリストの力があなたに及びます。そして、あなたが成し遂げたことは、神によってなされたことが明らかになるのです。