ダビデは八人兄弟の末っ子であり、ベツレヘムの羊飼いとして無名の人生を始めました。しかし、神は彼と共におられ、彼がイスラエルの敵の王者ゴリアテを倒した後は、誰もがダビデを知るようになりました。神の民に英雄が誕生しました。
もちろん、サウル王はそうは思いませんでした!古代のチアリーダーである者たちが「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(1 サムエル 18:7)と歌い始めたとき、サウルは激怒し、ダビデは命を守るために逃げなければなりませんでした。しかし、神の御手はダビデにあり、サウルが死んだとき、ダビデは王として戴冠しました。
ダビデの最初の動きはエルサレムへの進軍でした。神の民は三百年以上もその地にいたにもかかわらず、その偉大な都を占領していませんでした。ダビデはエルサレムを占領し、そこに宮殿と政府の中枢を築きました(2 サムエル 5章)。
レイダーズ・失われたアーク
それからダビデは契約の箱をエルサレムに運びました(2 サムエル 6章)。それは大きな祝賀の日となりました。神の民が砂漠にいた時、神の目に見える臨在が契約の箱に下りてきていました。しかし、サウル王の治世の間、契約の箱は倉庫に入れられ、完全に忘れ去られていたのです。その粗末な扱いは、当時の国民の霊的生活がどのようなものであったかを物語っています。
ダビデは、神の臨在の象徴を国民生活の中心に置きたかったので、箱をエルサレムに運びました。彼は立派な宮殿に住んでいましたが、神ご自身の住まいである契約の箱が幕屋であるのは、彼には不適当に思えたのです。
王は契約の箱を納めるための神殿を建てようとしましたが、神は別の計画をお持ちで、預言者ナタンを通してダビデにそれを告げられました。ダビデは神のために何か印象的なことをしたいと思っていましたが、神はダビデと全人類のためにもっと壮大なことを準備されていたのです。
壮大な約束
「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる」と神は言われました。「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」(2 サムエル 7:12−14)。
ダビデはこれらの約束の重さと栄光に圧倒されました。息子が神殿を建てることは容易に理解できましたが、ダビデの息子が神の子となるとはどういうことだったのでしょうか?また、どのようにしたら王の治世が永遠に続くことができるのでしょうか?神はダビデ想像を遥かに超えたことを約束していたのです。
物語の全体は、神の祝福がどのようにしてすべての人にもたらされるのかということを語っています。神はすでに、神の祝福がアブラハムの子孫を通してやってくると約束されていました。そして千年後、神はそれがダビデの子孫である王によってもたらされることを明らかにされました。この約束によって、神の約束を果たすための器が誰であるかの範囲が狭まります。
比類なき祝福
ダビデはキリストが誕生する約千年前に王となり、四十年間王として君臨しました(2 サムエル 5:4)。その間、神の民は比類のない祝福を受けました。ダビデの強力なリーダーシップの下で、イスラエルの敵は鎮圧され、国境は守られました。強力な防衛、経済の繁栄、安定した指導力によって、神の民はこれまでにないほど恵まれました。
ソロモンの神殿
ダビデが死んだ後も、神の祝福は息子ソロモンの治世を通じて続きました。ソロモンは、エルサレムに神殿を建てるという父の計画を実行しました。それはレバノンで材木を伐採する者3万人、石を切り出す者8万人、荷を担ぐ者7万人、採石場で監督する者3,300人を巻き込んだ大規模な建設プロジェクトでした(1 列王記 5:13−16)。
ソロモンは神殿の内部に特に注意を払いました。古い幕屋では、至聖所はカーテンで遮られていましたが、新しい神殿では、床が約30平方フィート(約9メートル)、高さ30フィートの明かりのない部屋が建てられました。それは完全な立方体でした(6:20)。
ソロモンは、ケルビムと呼ばれる御使いの巨大な彫刻を二体、至聖所に置きました(6:23−28)。このケルビムの翼の幅は部屋全体を覆っており、人間と神との間の隔たりを示していました。
建物が完成すると、神の民が集まって献上の儀式を行いました。祭司たちは契約の箱を神殿に運び込み、それをケルビムの翼の下にある至聖所に置きました(8:6)。
祭司たちが撤収したとき、驚くべきことが起こりました。神の栄光ある臨在の雲が神殿を満たしたのです(8:10−11)。神がこのように目に見える形で臨在の栄光を示されたのは、四百年以上前の砂漠でのことでした。契約の箱の上に下りて栄光が臨在したその同じ神が、今、ソロモンの神殿に来られたのです。ソロモンはまず応答として礼拝をしました。神の臨在は神の民と共にありました。ようやく地上に神の臨在を知ることができる場所ができたのです(8:29)。
第四の山からの眺め
ソロモンは四十年間、王として統治しました。ソロモンはその知恵の素晴らしさで知られるようになり、その功績を称えて世界中から王族の訪問者が訪れました。彼は巨額の富を蓄積し、彼の治世の間、イスラエルは世界の羨望の的となりました。ダビデやソロモンの時代は、神の民にとって絶頂の時代でした。
悲しいことに、たぐいまれな知恵で知られていたソロモンは、晩年には、いくつかの愚かな過ちを犯してしまいました。南部のエルサレムに注意を集中させ、北の人々を疎外してしまい、将来の分裂の種を蒔いてしまったのです。
ソロモンの国際的な有名人としての地位が、彼の没落の原因でした。彼は主に背いて、他の神々を崇拝する多くの女性と結婚しました(1 列王記 11:1)。彼女らは自分たちの神々のための礼拝所を建てるようにソロモンを説得し、彼の治世が終わる頃には、神の民の間に偶像崇拝が根付いていました。それは、再び長い暗い谷の始まりでした。